福島から仙台へ!
「自分の中での復興支援はとにかく地元で物を買ったり、食べたりして、お金を街に落とすことだ」
と考え、
牛タン、(牛タン 真助)
お寿司食べました!(北辰鮨 仙台駅)
ほんとうまい!!!
おみやげもいつもより高めのものを買いました!
そんなこんなで街を歩いていると仙台は、でっかい街で、震災の爪痕をほぼ感じられなかった。歩道広めの街でした。住みやすそう!
そんなこんなで仙台の地酒を飲みながら就寝。
翌日、4月8日は、松島へ。今日は帰らないといけないので、そこでゆっくりして牡蠣でも食べて帰ろうと思っていたら、代行バスなるものが・・・電車が走れない地域がまだやっぱりあるのかと思っていたら、思わずバスに乗ってしまいました。
そこには、こんな光景が・・・
一面、なにもない光景。津波の恐怖、人が亡くなった土地であることにそこで心から気付けました。
でも、ポツリポツリと壊れた家や新しくなった家があり、復興に向けて、ショベルカーが動き、建物が建設中。
バスを降り、復旧している電車に乗ると、そこには、人がいて、高校生が普通に通学している姿がありました。
そして、震災時よく耳にした、石巻に着きました。
「日和山に行ってみるといいよ」とバスを案内していた方に教えてもらい、そこを目指しました。
重いバックパックを駅のコインロッカーに預けたらよかったと歩いて3分ほど後悔するほど、ずーーっと上り坂でした。
でも普通に家があり、高校生の入学式なんかも道中やっており活気に満ちていました。
本当に津波があったのかと思いながらやっとの思いで、日和山に着くと、
津波の恐ろしさを感じました。
ただ空はいい天気で、気持ちのいい風が吹くと、それだけでなぜか満たされる、そんな気持ちになりました。
そこからお亡くなりになられた方に手を合わせ、物思いにふけってぼーっとしてました。
ここからこの土地は、少しずつ家が建ち、工場ができ、人が増えと違った形だが、また街をつくっていくんだろうなぁと。
宮城は希望が見えました。不謹慎かもしれないが、学園祭やイベントごとの時、一から何かを作り出すあの感覚に近いものを感じました。
そして、福島でも思ったのですが、まっさらな土地でもお墓はそこに残っていました。
残っているというより震災後建てたものも多いのでしょうが、先祖や亡くなった人を絶対忘れないとか、いつも心の中にある、無念の思いを受け継ぐとかそういったふるさとや人への愛を感じました。
人と人の絆。これさえあれば、やはり希望が生まれるのかなとなんとなく思いました。
ただ福島は、放射線の見えない恐怖とつき合っていく、なくしていくという課題があります。
本当にこれさえなければ・・・今さらそれを言っても仕方がないので、今日本にある約60基の原発とどう向き合い対応するか。
そこを本気で考え、ちゃんと自分の信念に近い人に選挙にいって投票することをしようと思う。
そこから御飯を急いで食べ、石巻を後にし、
松島へ。
牡蠣を食べ、牛タンのお土産で買い、約8時間かけてつくばの兄の家へ戻りました。
福島のこと、仙台・石巻のことを熱く兄に語っていました。2日間でしたが、それだけ自分の足で訪れ、自分の五感を全て使い、過ごした時間が意味のあるものだったんだ思った。
震災の被災者の方からすると、ご迷惑をかけたかもしれません。ただ、この2日を無駄にしない為にも、これからの自分の成し遂げたいこと、一つひとつの行動で体現していきます。
また10年後くらいに同じ土地を訪れ、街がどれだけ変わったか、今の気持ちとその時の気持ちがどう変わるか確かめにきたい。
今、このブログを読んで、少しでも何か考えるきっかけになったりしてくれていたら嬉しいです。
うーんと考えた人は、迷惑にならない程度で、手伝えることがあればもちろんして、一度福島・宮城・岩手・・・東北を訪れて肌で感じて来てみてください。